"seaside theatre" from shonan beach FM 78.9

with DJ johnny SHIDA since2020

2021年01月

特集「モンドサントラ A GO GO!」
01 ベイビー・ドライバー Baby Driver Simon & Garfunkle 02 シャレード ★チャロさんご希望曲
bdcb30cf-0681-4ab6-a832-da23b13dacc9 03 バーバレラ Barbarella The Glitterhouse & Bob Crewe 04 ナック The Knack And How To Get It John Barry 05 唇からナイフ Modesty Blaise David & Jonathan 78a0e872-6fea-497e-90db-0647f79f5412
feat. Almando Trovajoli / アルマンド・トロヴァヨーリ 06 黄金の七人 Sette Uomini D'oro 07 続・黄金の七人 レインボー作戦 Il Grande Colpo Dei Sette Uomini D'oro 08 新・黄金の七人 7×7 7volte7 09 黄金の七人 1+6エロチカ大作戦 Homo Eroticus
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10 紳士泥棒/大ゴールデン作戦 After The Fox Peter Sellers & The Hollies 11 欲望 Blow-Up(Main Title?Bring Down The Birds) Herbie Hancock 58f00162-f810-4f83-ab4c-0d76da402796
12 茂みの中の欲望 Here We Go 'Round The Mulberry Bush Traffic 13 あの胸にもういちど Girls On A Motorcycle Les Reed 84e0b44d-69d2-4f60-9c42-e98d4d2cbb8e
from japanese ost 14 窓からローマが見える Roma Dalla Finestra(The Green Rake?Olga's Theme) Paul Mauriat 0eb437b7-6104-4963-9147-979fd1bb3c87
15 続・エマニエル夫人 Emmanuelle2(L'amour D'aimer) Sylvia Kristel & Francis Lai 16 世界残酷物語 Mondo Cane(More) Nino Oliviero / Riz Ortolani 3499476c-4748-48f9-a95e-388874ac7939


after report by johnny SHIDA
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モンドという定義、嫌いじゃないんです。しかも単なる自己定義ですが、"ちょっと変わってる" という総体的イメージなんですね。映画でも音楽でも、やや基本からはみ出ているような、よく言えば"新たなアプローチ"、逆に言えば"脱線気味でなんだか変"、みたいな。そんな脇道にそれたような演出やサウンドメイキングを作品に昇華させているものたちを、自分としては "モンドだなぁ、うん、これはモンドだ" と決めつけ、また愛でているわけです。

芸術臭が匂えばもはやシネフィルだし、技巧派でテクニックがあればその音楽はプログレと言われるでしょう。でも"モンド"はそんな高尚なフィールドには入りません。映画館で言えばユーロスペースかアップリンクか、音楽で言えばブックオフのCDコーナーの380円以下の棚にあるCDたち。それぐらい評価は割れ、でも人によっては個人的偏愛度がとても高い存在、だったりするんですね。(決して卑下してません。寧ろ大好物で褒めています...念のため。)

さて、そんな"ちょっと変わってる" 映画に出会うと、サウンドトラックにも期待が高まります。やはり郷に入れば郷に従え。ちょっと変わった音楽との出会いにもなっていくもので、結果それらが"モンドミュージック"と称される事も合点がいくわけです。今回ご紹介した「世界残酷物語」がその筆頭のようでして、いわゆる悪趣味風習ドキュメンタリーの元祖、だけど何故か世界中で大ヒットしてしまい、人間の持つ卑き好奇心がビジネスになるという、やや不快な実績をもたらしてしまった特殊ケース。文字通りモンドな展開という他ありませんよね。しかしさらにおかしな事に、この映画のサウンドトラックが意に反して美しすぎる名曲な出来栄えだったと。映画同様大ヒットになったメインテーマのコンポーザーはイタリアの作曲家、リズ・オルトラーニですが、アメリカ興業の際にそのメロディーに(勝手に)歌詞が付けられ、タイトルも「モア」と改題。より極上のラウンジソングに生まれ変わり、アンディ・ウィリアムズやシナトラまでもがライブのレパートリーに入れ始めるわ、どんどん楽曲が一人歩きしていって、当のオルトラーニ自身の知らぬところでいつの間にか自身の代表曲に成りあがっていった、なんてエピソード、全くもってして"モンド"な現象ですよね。(因みにあの最悪映画「食人族」の音楽もオルトラーニなんですが、これがまた素晴らしく美しいメロディー楽曲でなんなんだという感じでして...)

つまりそういう、へぇ〜なんか変!でもイレギュラーで面白い...、と言えるもの、好きなんですよね。そもそも映画が好きでハマってしまった人、音楽が好きでハマってしまった人たちにも、そういう傾向、あると思うんです。マニアな沼にハマってしまったというか、掘れば掘るほどハマるというやつ。90年代に流行ったリバイバルブームなんかは、そんな動きがうまく時代とマッチした例ですよね。60年代スウィンギンロンドンやヌーヴェルバーグ、70年代のアメリカンニューシネマやレアグルーヴサウンド、それらがミュージシャンやサブカル・ナビゲイターらによって、エッジが効いてたあの時代、オシャレでしょ?とレコメンドや焼き直しがなされ、同時に渋谷HMVが開店してそれらにまつわるCDやレコードやビデオが輸入され、カルチャーアンテナを張っていた若者たちの溜まり場、というか聖地にまでなっていったと。フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴなどが牽引し、そこに小泉今日子や渡辺麻里奈といった芸能界隈の方々まで合流。音楽用語としての"渋谷系"というキーワードも広がり、映画界でもかつてのモンドなレアムービーやインディペンデントムービーらが、渋谷はシネマライズや、前述したユーロスペースとか、PARCOスペースパート3、ステージラボなどで、続々リバイバル公開され始めました。オルトラーニの「モア」が再評価されたのもこの時期でしたし、かつて中古レコード屋で100円盤だったサントラも無駄に高値が付いたりしたものです。沼にハマれば皆もモロともな、とにかくこれも極端なイレギュラー・ムーブメントだったとは思いますが、未だにそれらかつての埋もれがちだったコンテンツの数々が伝承されているのは、そんなリバイバルな動きがあったからこそ、と言えたりするんですよね。全く、面白いものです。

ただ、自分はこのブーム時は会社員として働き始めだったので、正直10代の頃ほどそういう流れに乗ってハマりはしなかったのです。側から眺めていて、今頃そんな映画や音楽が流行るなんて、よほど熱中出来る新しい何かが周りに無いんだなぁとか、斜に構えていたりしていました。その頃リバイバルされていた映画は既に以前ほとんど観ていたものばかりでしたし、音楽も60sや70sの塗り直しばかりで何だか興醒めしていたんですね。でも多分どこかで、仕事が忙しく学生時代みたいに自由な時間が全く無くなってしまった事からの僻みもあったのかもしれません。結局映画好きですし、気になった作品はどんなに忙しくても観に行っていたわけで、音楽好きなのも基本的にずっと変わりませんので、今思えば、僻みながらもいちいち情報だけはチェックしていたなと。だから、いまだにモンド界隈の知識だけは蓄積されているのかな?と思ったりするのです。


次回は特集「ジェームズ・ディーンという名の青春」をお送りいたします。
お楽しみに。

次回の「seaside theatre」特集は、
「モンドサントラ A GO GO!」
モンドとは?
ちょっとストレンジでちょっとキッチュな映画たちの
オシャレ感たっぷりなサウンドトラックを紹介していきます。
予定しているのは下記作品群。
ご期待ください。

バーバレラ
ナック
唇からナイフ
黄金の七人シリーズ
紳士泥棒/大ゴールデン作戦
欲望
茂みの中の欲望
あの胸にもういちど
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★(今週は)こんな映画を観た。


「男はつらいよ ぼくの叔父さん」

恒例BS 4K寅さん。1989年の第42作目でいよいよ「満男の青春篇」に本格突入。大学浪人一年生でバイクを乗り回し、すっかり思春期となった満男がオープニングアヴァンを担当。さらにドラマが始まってから15分ほどまで寅次郎の登場もなく、そのまま満男に焦点をあわせた物語が展開。この段階で「男はつらいよ」がネクスト・フェイズに入った事を感じさせる。その後のキーキャラクターとなっていく後輩ガールフレンドの後藤久美子演ずるいずみとその母・夏木マリも登場。恋に悩みうだつがあがらない満男にほとほと困り果てていた柴又の一陣は、珍しく叔父である寅次郎に甥を託すのだが・・・。当然だが寅としては自分の家族もいなければ子もいない。なのでこの満男が唯一の親的感情を与えられる存在なわけだが、そこは"叔父"という中途半端なスタンス。肝心なところには責任もてないが、必死になってその行動を肯定し、付き合い、時には叱り、周りにもフォローする。その姿はまさに"叔父さん"の鑑であり、観ている側の心を捉える。これまでの破天荒さはやや静まり、寅次郎の親心と共に、ここからは満男の姿と相対しながらの旅が続いていくのだろう。ここまでの歴史があってこそ楽しめるシーズン2的な期待が膨らむ。と同時に、48作にて終焉を迎える当シリーズのエピローグ、その始まりでもあり、既に永遠と続いてほしい寂寥感をも感じてしまうのだ。

それにしてもこの1989年、満男を演じた吉岡秀隆氏は一方でテレビドラマ「北の国から」でも同様の思春期に悩む青年を演じている。'89年と言えば「北の国から'89 帰郷」であり、そちらでは東京でややハメを外してしまい不良扱いされた純が富良野へすごすごと帰ってくるというエピソードがある(やはりバイクに乗っている)。吉岡氏が持つキャラクターがそうさせるのか、満男と純の性格は似て非なるものではあるが、はっきり言ってどうしても重ねて観てしまうし、単純に似ている。というか同じだ(笑)。純が一番フォーカスされた「北の国から'87 初恋」であり、尾崎豊に傾倒して富良野を飛び出していくそのインパクトはかなりのものがあった。それを受けて山田洋次監督も今回の「男のつらいよ」でも一度満男にも旅をさせようと思ったのだろうか。東京でぬくぬく育った満男の方が、ややドロップアウトするタイミングが遅れていても不思議な説得力があるのは、「北の国から」での"家出前科"あったから...かもしれない。ラストシーン、満男の部屋のデスクの上に尾崎豊のアルバム「回帰線」が飾られているのを見つけ、双方の密かな繋がりを発信していた事も発見。美術スタッフが気を利かせたのか、それとも吉岡氏自身の働きがけか。いずれにしても青春の苦悩を一気に引き受け、両作品にて大変な演技を使い分けていた吉岡氏は凄い。


「男はつらいよ 寅次郎夢枕」

初期作追っかけ鑑賞。1972年、第10作。マドンナに八千草薫。ゲストでワンシーンだけ登場する田中絹代の存在感が凄い。寅次郎と共に墓参りをするショットは、歴代の松竹映画人たちへ捧げるかのような素晴らしい構図と演出だった。このあと田中絹代は'75年からドラマ「前略、おふくろ様」に参加していくのだが、そういった俳優の人たちのフィルモグラフィーを辿っていく事で、また違った映画の歴史が垣間見えるのが面白い。(この回もまあまあ面白かった。)


「太平洋ひとりぼっち」

再び、石原プロ作品。単独ヨット太平洋横断、実話の映画化。破天荒で無鉄砲、だが緻密で繊細な一面も持つ主人公、演じるは若き頃の石原裕次郎だが、喜怒哀楽振り幅激しい演技がとにかく初々し過ぎて観ている側もやや照れ臭いほど。それより何よりヨットで太平洋横断という大偉業だ。本当に1962年というアナログな時代に、風力だけで日本からアメリカはサンフランシスコまで辿り着いてしまうとは。映画の中ではなかなかその苦労や葛藤のリアリティーが裕次郎の気合いだけのベタな演技のせいでいまいち伝わってこないのだが、現実は"ひとりぼっち"と強調するほどの孤独感であったと思う。

では誰ならこの狂気な冒険譚を再現出来ただろうか?そう考えると監督の市川崑も登板が相応しかったかどうか甚だ疑問である。前にも記したが、どうしてもシネフィル感の強い画の作り方が鼻につくし、何より緊迫感を演出してドキドキさせるような監督ではないので、そもそも全体的にミスマッチではないかとも思ってしまう。

しかしそれでも興味深くて面白かったのは、使える予算が少ない主人公が、様々なアイディアを駆使して安くで備品を入手したり代替えしたりして、なんとか困難を乗り越えていく、そんな様々なアプローチが次々に披露されるからだ。冒険には何かしらの学びがあり、それは常識だけでは済まされない自然との衝突や、いくら準備に時間をかけてもいちいち覆されてしまう想定外との対立だったりする。しかしそれこそが冒険の醍醐味であるようなので、驚くような挑戦に立ち向かうアドベンチャーたちは半ば中毒になって、またさらなる高い壁を目指して登っていくのだと思う。

実在する主人公の堀江謙一氏も太平洋単独横断後、同じくヨット単独無寄港世界一周とか、ウェーブパワーボートでまたハワイまで行ってしまったりと、やはり再び企んだ事を何としてでもやり遂げねばという、尋常じゃないトライアルスピリッツと共存しているのだ。つまり何が言いたいのかと言うと、何が何でもやってやるという人の物語だから、多分映画の作りがどうのこうのとかはあっても、とりあえずは面白かった、という事だ。


「おもいで写眞」

オンライン試写にて鑑賞。熊澤尚人監督によるオリジナル作品で、老人らと思い出の場所へ出向きポートレイトを撮る役場事業「おもいで写真」を巡る人間ドラマ。現代社会が抱える問題の一つ、独居老人や希薄となりつつある近隣とのコミュニケーションについて等、切り口に意義のある作品であるがしかし、だからこそもう少し突っ込んだ中身になっていたら尚良かった。デリケートすぎてせっかくのネタがもったいないという意味なのだが、熊澤尚人はこれまでの作品群を観ればそれぐらいの振り幅は絶対にある監督だし、もっと影なる部分を暴露するくらいに表現出来る演出家の筈と、信じて疑わないからである。脚本は共同だが原作は熊澤のオリジナル。次作からも自らの発案を続けてほしいし、併せて映画的自我のさらなる覚醒にも期待したい。今の日本映画に必要なのはそのような個人主義作家であり、プログラムピクチャーに靡く職人監督はこれ以上いらないからだ。8ミリ映画育ちの熊澤監督、頑張ってほしい!



★聴きたいサウンドトラックのご希望にも出来るだけ対応してまいります。
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特集「風の谷のサウンドトラック」

01 風の谷のナウシカ オープニング 久石譲
02 天空の城 ラピュタ 空から降ってきた少女 久石譲
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03 魔女の宅急便 旅立ち 久石譲
04 紅の豚
時代の風~人が人でいられた時 久石譲
さくらんぼの実る頃 加藤登紀子
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05 もののけ姫(instrumental) 久石譲
06 ハウルの動く城 さすらいのソフィー 久石譲
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07 平成狸合戦ぽんぽこ  元気節 八草楽団
08 かぐや姫の物語 天人の音楽I~月 久石譲
09 おもひでぽろぽろ
愛は花、君はその種子~The Rose  Bette Midler
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10 式日 霧につつまれた街 加古隆クァルテット
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11 となりのトトロ 風の通り道 久石譲
12 千と千尋の神隠し あの日の川 久石譲
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13 風立ちぬ 旅路(夢中飛行) 久石譲
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after report by johnny SHIDA
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風の谷に響くようなメロディー。久石譲さんの楽曲はこう形容したくなるものばかりで、今回はそんなタイトルを付けてみました。結果中身が久石譲特集になってしまいましたが、まぁ仕方ないですよね、これまでの代表作実績を見ればほぼ久石さんのスコアで占められていますので。どうしてもメインテーマやオープニング楽曲ばかりをチョイスしてしまいますが、他のシーンの楽曲やサブテーマについても名曲が多いので、そういったナンバーは劇場二番館的に、また機会を見つけて随所にインサートしていきたいと思っています。それぐらい久石さんの楽曲はドラマチックで情感に溢れており、ある意味 "聴き逃せない" "聴き流せない"ものばかりなんですね。

自分がはじめて久石さん楽曲の宮崎駿監督作品を観たのは恐らく「となりのトトロ」だったと思います。また大学に入ったばかりの頃だったと思うのですが、映画制作サークルの飲み会の席でこんなやりとりがあったんですね。それまでアニメ自体に対して興味を示さず、むしろ、まだオタクに市民権が無かった時代という事をいいことに、トトロとか、全然観る気ないっスよ、とか先輩に向かって言ったところ、その先輩の顔が急に険しくなりまして、「そうか、じゃあオレが金出してやるから、トトロだけは観てこい」と言われたんですね。最初冗談かと思ったんですがホントに入場料の1,300円(当時)を渡されまして、仕方なく観に行ったのです。で、結果トトロで泣いた泣いた…。なんだかわからない哀愁と郷愁と寂寥にまみれた一筋の希望の光があわさって、「いい映画観たぁ…」と、心の中で先輩に、すみませんでした!と謝りまくりましたね。で、その後その先輩からは良かった良かった、お前にはわかると思っていたぞと笑顔で肩を叩かれ、「言い忘れたけど火垂るの墓はトトロの前に観ただろうな、あれ後に観ちゃうとせっかくのトトロ気分が台無しになるからな」って、先輩それ早く言ってくんなきゃ…と思ったり。

で、本題ですが、このトトロを観てある重大な事に気づくわけです。アニメというオタク世界をやや敬遠して遠慮していた自分が、唯一大好きだったアニメたちがほとんど宮崎作品だった、ということ。「未来少年コナン」と「ルパン三世 カリオストロの城」がそれでして、とにかくこの2作はテレビやビデオで何度観直したかわからない。でもそうであっても特に監督の名前とかは気にせずで、どうやら「ナウシカ」の人らしいけどちょっとよくわからないから別にそこはいいや…ぐらいな感じだったのですね。しかしそれら点たちがトトロによってピーンと線が繋がったのです。独特なキャラクターや個性的なアクション(動き)、そして印象的な色彩設定。これらに親しみを感じるのは、コナンやラナ、ルパンやクラリスなどの、あの雰囲気だからだと。そして基本的には性善説として描かれる物語でも、どこかに教訓的戒律が潜んでおり、そのハラハラさが娯楽作品としての価値をグンとあげている、そんな「実態」に関してもすべて共感出来たわけです。なるほど、これが宮崎作品なのか、と全て合点がいったわけなんですね。

それからはもうジブリ作品にどっぷりになりました。「ナウシカ」と「ラピュタ」も後追いながらリピーターになりましたし(どちらかと言うと「ラピュタ」がもうコナンそのものなので観た回数は圧倒的に多いです…)、「魔女宅」からはほぼ劇場で観ていきました。恥ずかしながらそこでユーミンとは荒井由実なのである、と認識したり、「おもひでぽろぽろ」の高畑監督が「赤毛のアン」を作った人なのか、わかる!とか、どんどんいろいろ学んでいくわけですね。そして当然サントラCDも観るたびに毎度購入していき、久石譲というアーティストにもどんどんハマっていくわけです。

ジブリ以外の久石作品で特筆すべきはやはり大林作品とのタッグですね。最初は「漂流教室」で久石サウンドが大林映画に乗るわけですが、酷評されまくった作品とは言え、自分はこの映画大好きでして、特にサウンドトラックがめちゃくちゃ良いんですね。で、その後の新尾道三部作として公開された「ふたり」でそのタッグのパワーが大爆発するんです。なんでもこの作品に久石さんはほとんど手弁当で参加されたとか。それぐらい尾道での大林作品に思い入れがあったのでしょうか、エンディングでは監督と久石さんふたりで主題歌まで歌ってしまうというスペシャルも。この直後に公開された宮崎作品「紅の豚」では、この「ふたり」の楽曲(メロディー)がスピンオフされていたりして、一人劇場でほくそ笑んだりしていました。あー久石さんイキな事するなぁと。

だから自分の中では宮崎作品と大林作品を有機的に繋げてくれた久石サウンドも大好きなんですね。互いの作品のリズムを優しく包むその楽曲群は何より聴いていて心地いいですし、ずっとBGMにしていられる安心感があります。もちろんその他のジブリ作品でも久石さん以外のコンポーザーは多々いらっしゃいますが、どこかにあの久石節というか、ジブリサウンドというモチーフが流れていると感じてしまうのですね。今回も番組ではそんな別コンポーザー楽曲も登場させましたが、しかしジブリ色に統一されてしまうこのイメージングはなんだろうと思うほど、そのカラーは確固たるものとして成立していたんですね。そういう意味ではまだまだ紹介したいサウンドトラックはありますが、まずは久石サウンドによるジブリの音楽世界=風の谷のメロディーを特集しておかなければと思った次第なのです。あと、このご時世にこそ奏でられるべき大切なメッセージを感じさせてくれる曲たち、という思いもありましたので。


次回は特集「モンドサントラ A GO! GO!」をお送りいたします。
お楽しみに。

次回の「seaside theatre」特集は、
「風の谷のサウンドトラック」
自然と平和を愛する全ての人たちに贈る珠玉の作品群から、
癒やしの音楽の数々を紹介していきます。
予定しているのは下記作品群。
ご期待ください。
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風の谷のナウシカ
天空の城 ラピュタ
となりのトトロ
おもひでぽろぽろ
魔女の宅急便
紅の豚
平成狸合戦ぽんぽこ
もののけ姫
千と千尋の神隠し
ハウルの動く城
かぐや姫の物語
風立ちぬ

是非、日曜の夜は湘南ビーチFMの “seaside theatre / 海辺の映画館” へご来館ください。
OA後には放送された楽曲の全リストをサントラのジャケットと共に掲載。
当館コンシェルジュ、ジョニー志田によるアフターリポートもアップいたします。
お楽しみに。




されど、映画じゃないか(今週の雑文)


★(今週は)こんな映画を観た。


「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」

恒例BS 4K寅さんの第41作目。1989年の作品でマドンナは竹下景子でゲストは淡路恵子に柄本明。しかもなんの理由もなくいきなりウィーンロケを敢行しており、寅次郎シリーズ初の海外遠征というスペシャルネタで尺も若干長めというボリューム感。なんでもウィーンから熱い招致を受けてのロケ作品とかで、時代的にもバブル期なのでなんとなくイケイケ感が漂っていたのが興味深い。そんな特別編みたいなノリでも、結局寅次郎はいつもと変わらないのがミソ。海を越えてもドタバタを繰り広げるから、結局柴又だろうが欧州だろうが同じであった。本作の特筆すべきは、やはり貫禄満載、淡路恵子の演技の素晴らしさか。


「男はつらいよ 柴又慕情」

第9作目。毎週のBS寅さんを途中から見始めていたので、過去に遡り第1作目からも追いつけとばかりにヒマを見つけては観ている。おいちゃんが二代目の松村達雄にチェンジ。マドンナは吉永小百合で、タイトル通り柴又はとらやがメインの舞台となる回。思いの他さくらとひろしがキーマンになっていい味出しているのと、「七人の侍」の宮口精二がゲストで登場。渋い演技を見せてくれていた。1972年作品。このあたりの作品では、映像に出てくる生活文化を眺めるだけでも楽しさがある。


「富士山頂」

石原プロ作品が次々と解禁となっていて久しく、いろいろ観ようと思いつつなかなか手を付けていなかった。「黒部の太陽」「太平洋ひとりぼっち」と、どれからにするか悩んだがやはりこの「富士山頂」を選んでしまった。山岳モノが好きなのだ。富士山レーダー建設の話はプロジェクトXで紹介されてからとても興味深かったのだが、本作は末DVD化でずっと観れなかった。だからか、なかなか鑑賞にも力が入る。とにかく三菱電機の裕次郎と現場監督の山崎努、その二人の任務遂行の為の丁々発止が面白い。当然なのだが、こんなにアナログな方法で組み立てなければならなかった時代に対しての興味と驚きもあるが、今も昔も中間管理として指揮する立場(石原&山崎の二人)はいちいち大変だなぁと思い知らされた。それに比べて勝新演じる労働者側、力づくで現場を生き抜く輩たちの何とも勇ましくて頼もしい姿よ。この野郎節が無いとブルドーザーで富士山を登っていくぞとはなかなか言えない。なるほどこういう男たちが戦後の日本に東京タワーや高速道路をドッカンドッカンと造りあげたのだ。スゲェなぁ、カッコいいぜ、と思った。


「青いパパイヤの香り」

アジア映画のサウンドトラック特集を企んでいて、まず頭に浮かんだのがこの作品。1994年。それまでアジア映画と言えば香港映画のジャッキーだけだった自分に、ベトナム産という強烈な東南系インパクトを与えてくれた作品。とは言えこの映画、資本はフランス。それでも中身から側までとことんベトナム・サイゴンの街の一角が完璧に描かれ、アジア特有の湿度と風土が詳細に再現されているのにまずは驚く。さらにトラン・アン・ユンという全く馴染みの無い監督による演出は、溝口的な緻密に計算されたロングショットによるカメラワークと、ヒッチコック的な主張し過ぎない自然で美しい構図の積み重ねで綴られた脅威のシネフィルタッチ。そこまでの画の作り込みだからこそ様々な余計な情報や説明も省き、遂には台詞すら無くなっていく、まさに絵で魅せる映画の極致。音楽のインプロビゼーションのようなピアノと弦楽器のシンプルなサウンドも、不協和音ながらなぜかこの物語には優しく溶け込む。久々再見し、やはり傑作であるなと唸らされた。そういえば当時劇場で観た時はレイトショーで、同じ頃から中国や台湾、韓国からも良質なアート系映画がどんどん溢れていったっけ、と思い出した。もう30年近くも昔の話。


「アロハ」

コロナ禍のせいでハワイに帰れないでいる。我こそは前世がハワイアンだと信じて疑わないため、帰省出来ない今のこの状況が本当に辛い。だから少しでも気分を味わえるのではと、2015年のキャメロン・クロウ監督によるハワイロケ作品という事だけで本作を観たのだが、これがまた軸足がどこにあるのかさっぱりわからない上、肝心のハワイならでは感がほとんど皆無。で、消化不良。余計ホンモノのハワイが恋しくなった次第。



★ブライアン・イーノ考

なんとブライアン・イーノが湘南ビーチFMにアクセスしたとか。最初驚き嬉しくてそのインタビュー記事を読んだら、たまたまラジオ局アプリをいじっていてヒットさせただけだった(笑) それでもOAしていたJAZZサウンドを聴いてイイねとブックマークしてくれたらしいので、いずれにしても凄い事だ。実は全アルバムを持っているイーノの大ファンなので何とも落ち着かない気持ち。イーノはサントラワークも多いがそれだけをフューチャリングするのはあまりにもマニアック。最近もサントラ楽曲だけを集めたコンピベストをリリースしたが、サントラだろうが構わずアンビエントタッチなので、やはり特集には無理があるか。いやしかし、トライしたい気も、だがしかし、誰かがやらねばだとしたら、しかし、しかし。




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★湘南逗子界隈のリスナーの方々は78.9MHzラジオにてお聴きいただけます。
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prologue "BROADWAY MUSICAL" soundtrack
01  ムーヴィン・アウト Movin' Out
  Prelude?Angry Young Man
  music by Billy Joel  performed by
02  アメリカン・ユートピア  American Utopia
  Road To Nowhere  music by David Byrne
  performed by David Byrne & The Cast
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特集「ブロードウェイ・メロディーを聴きながら」

03  オール・ザット・ジャズ  All That Jazz
  On Broadway  George Benson
04 コーラス・ライン  A Chorus Line
  I Hope I Get It  Marvin Hamlisch
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05  シカゴ  Chicago
  Roxy  Renee Zellweger
06  ドリーム・ガールズ  Dreamgirls
  The Dreams  Dreamgirls
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07  ヘアスプレー  Hairspray
  Good Morning Baltimore  Nikki Bronsky
08  ジャージー・ボーイズ  Jersey Boys
  Can't Take My Eyes Off You  John Lloyd Young
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09  マンマ・ミーア! Mamma Mia!
  The Winner Takes It All  Meryl Streep
10  レ・ミゼラブル Les Miserables
  I Dreamed A Dream  Anne Hathaway
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11  マイ・フェア・レディ My Fair Lady
  On The Streets Where You Live
  music by Andre Previn
  performed by Percy Faith
12  ウエストサイド物語  West Side Story
  Somewhere  The Cast
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after report by johnny SHIDA
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ミュージカルのステージは、実はニューヨークのブロードウェイにて一作だけ観たことがありまして。しかもどんなタイトルだったのか、どんな内容だったのかもさつぱり記憶から飛んでいて、昔の日記でもほじくり返さないとわからないのです。1990年の冬でしたし、比較的小さな劇場だったのできっとロングランもされていない演目だったのかなぁと。要はそれぐらい「舞台」というものに対してはあまり興味はそそられなかったという事でして。それはいわゆる日本の演劇の舞台に関してもそうだったんですが、どうも目の前で演技をされるととても怖かったというか、ステージに立つ人の緊張感や意気込みといった「気」やそれに伴う「オーラ」が凄すぎてちょっと無理…、みたいな感じだったのです。特に80年代後半から90年代にかけてはまだ小劇場にてかなり過激な演出で尖がった演劇も多く、時に観客まで巻き込むようなゲリラ的な仕掛けも少なくなく、そういうものを楽しみに来るお客さんなら良いのですが、自分はどうもそういうのが苦手だったので特に演劇界に対してコミットしていくという動きはなかったのですね。だから「映画」に逃げていた、と考えると、それもなくはなかったのかなと思ったり。

しかし、ミュージカル映画は大好きなんですね。どうしてでしょうかね。だったら舞台のミュージカルだって楽しめそうなものですが、日本でのミュージカル公演にはなぜか足を運ぶ気になれず一度も見た事がないので批評をする資格はないんですが、その分映画としてのミュージカルはとにかく観まくっています。当番組でも開始早々第2回目にミュージカル映画特集をやっていますし、一番影響を受けたジーン・ケリーのMGMミュージカルをフィーチャーしたりするぐらい、このジャンルは大好きなんですね。


この続編というわけではないですが、たまたま見つけた記事に「へぇ~」と思った事がきっかけで企画を思いついたんです。それがデヴィッド・バーンの舞台「アメリカン・ユートピア」の記事でした。同名タイトルのアルバムを舞台化したそのステージは、ステージセットなし、アルバム楽曲をバーン含むキャストだけで完全再現していくだけのミュージカル(と言えるのか?)なんですが、かつてのトーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」のあの演出を思い出すと、きっと面白い構成で、シンプルだけど魅せる作りになっているのだろうなぁと想像したんですね。しかもその情報は、その舞台をドキュメントとしてスパイク・リーが監督し、映画化するというニュースだったんです。大人気舞台の完全映画化!ではなく、個性的な舞台のドキュメンタリー映画化、というわけですね。まぁそれをスパイク・リーが手掛ければまたまた絶対特殊なものになるだろうし、そういう舞台と映画の関係性ってちょっと面白いかもと、特にブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品にこだわって選出してみたわけです。

で、実は恥ずかしながら今回の取材ではじめて知ったのが、既存曲で構成されたミュージカルを「ジュークボックス・ミュージカル」と称する、という事ですね。なんだか印象的にはリサイクルものみたいで安っぽい言われ方だなと思ったのですが、新曲で構成されたものではないという事と、「マンマ・ミーア!」や「ジャージー・ボーイズ」、ビリー・ジョエルの「ムーヴィン・アウト」のような、アーティストそのものやその楽曲をフィーチャーしたものに対しての名称だとしたらまぁ言い得て妙だがわかりやすいのかと。それらアーティスト・ファンにとっては若干アレンジの違うカバー楽曲が聴けるという事もあって貴重なコンテンツであるとは思いますし、何より解散、消滅してしまったようなバンドやアーティストが題材になっているものであればステージでライブさながらに大好きだった楽曲を体感出来るわけだから、それは楽しいだろうなぁと。まぁ中にはなんちゃって感満載のものもあるのでしょうが、そういう共通性がエンタメ度をあげるからこそ、ジュークボッス・ミュージカルというジャンルも充分に成立していのかと勉強した次第です。

あとは何より映画に対する音楽の活かし方、すなわち映画もサウンドトラックも素晴らしい作品は容赦なく選抜に放り込みまくりました。「コーラス・ライン」の冒頭プロローグの迫力の感動は今でも忘れられませんし、近年の「レ・ミゼラブル」もプレスコなしのリアル歌唱に対してはいろいろと思うところはあるのですが、苦境に立たされた場面ばかりで必死に演技しながらの全身全力歌唱はやっぱり異様な迫力があって凄いなと思ったので採用。ブロードウェイを舞台にしているだけでステージあがりではない「オール・ザット・ジャズ」も大好きな映画なのであえて入れてしまいましたね。粗削りだけど先鋭的な編集による歌唱シーンはどれも秀逸な作品で、当時のニューヨーク・ブロードウェイの姿が赤裸々に感じられる作品としてもとても重要です。

それでいつものように日本映画でもそういった作品がないか記憶総動員で考えたんですが、なかなか思い浮かばないんですね。たとえ出てきても日本語歌唱ものばかりでちょっとビーチFM的ではない。一応一作決め込んで準備まではしたんですが、構成してみると無理してピックアップした感が物凄く、制作時にさっさと却下いたしました。今回日本映画サントラがないのはそのためです。しかし本当に日本映画に良きミュージカルは無いのでしょうか。バンドや楽団の成長物語で演奏シーン多々あり、みたいな単なる音楽もの映画ではなく、演技中に突然歌いだすような真性ミュージカルです。きっとまだまだ未観の良き作品があるのでしょうね。なので、まだまだ映画を観続けなくては、という事なのでしょうね。


次回は特集「風の谷のサウンドトラック」をお送りいたします。
お楽しみに。

次回の「seaside theatre」特集は、
「ブロードウェイ・メロディーを聴きながら」
ミュージカルの映画化作品、
さらにはミュージカル単体の音楽も紹介していきます。
予定しているのは下記作品群。
ご期待ください。
※日本映画サウンドトラックのコーナーはお休みです。

マイ・フェア・レディ
ウエストサイド物語
オール・ザット・ジャズ
コーラス・ライン
シカゴ
ドリーム・ガールズ
ヘアスプレー
マンマ・ミーア! 
レ・ミゼラブル
ムーヴィン・アウト
ジャージー・ボーイズ
アメリカン・ユートピア
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是非、日曜の夜は湘南ビーチFMの “seaside theatre / 海辺の映画館” へご来館ください。
OA後には放送された楽曲の全リストをサントラのジャケットと共に掲載。
当館コンシェルジュ、ジョニー志田によるアフターリポートもアップいたします。
お楽しみに。


されど、映画じゃないか(今週の雑文)



★(今週は)こんな映画を観た。


「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」

BS 4K寅さん、今週はタイトル通り、俵万智による現代俳句の名著、サラダ記念日をフィーチャーした異色作。マドンナが子持ちの未亡人、三田佳子に、ゲストに尾美としのりに三田寛子、さらに奈良橋朋子も登場というところも含め、展開に変化球満載の回で面白かった。ブームをネタにするところはテレビ的でらしくないという印象もあるが、80年代も少しずつ後半に突入し、シリーズも第40作目。切り口を多々設けなければ正月映画として目立たなくなっていた時期なのだろう。観ている側はバリエーション多彩で面白いのだが、前回も記したように、では寅次郎単体としての物語が薄くなりがち、という事態に陥ると本末転倒。今回はそこまでとは思わなかったが、ここからはそういうエピソードが増えていくという予感が多分にある。尚、吉岡=満男の成長はいよいよ本格的反抗期に入り、寅への傾倒、前田吟=父ひろしとの確執も強くなる一方で面白いことこの上ない。



「パラサイト(モノクロ版)」

無論オリジナルカラー版は公開前の試写で観ているので言わずもがな、その時はポン監督遂にここまで到達したかと感涙の極みであったが、なぜこれ白黒バージョンまで作る?と疑問のまま時間が過ぎてしまったのでなんとなくほとぼり冷めるかのように今頃になってようやく観た。いやこれ全く別物になっていて再び衝撃食らってしまったんですが。なんだこの異様さ300%増し感は。冒頭の半地下ハウスからこんなシーンだったか?という違和感でとにかく異質。言葉は悪いが不快感すらある。この世から色を奪ったらこんなにも無情で非情で無機質なのかというくらいのアンダーワールド。展開されていく物語の一つ一つがどうしようもないくらい救いようが無くなり、オリジナル版のあのあっけらかんとした家族のドタバタはどこへ行ってしまったのだろうかと尚胃の中がムカムカした。カラー版とモノクロ版の同時公開という作品は、自分の記憶では大林宣彦監督の「野ゆき山ゆき海べゆき」ぐらいしか無く、その比較対象については"質実黒白オリジナル版" と "豪華総天然色普及版" と明確に銘打たれ、サウンドトラックの付け方まで異なる演出でその使い分けの狙いははっきりとしていた。しかし本作は画のコントラスト調整はされているがそのままモノクロになっただけのバージョンだ。それなのになぜこんなにも別作品として再生されるのか。恐ろしさが増強し、あらゆる感情にリアルさがてんこ盛りになっていて途中で観るのを止めようとしたくらい、ちょっとイヤだった。これは果たして情報量をシャットアウトされた故の不安感なのか、それとも最初からモノクロで観るべきだった作品という慙愧の念なのか。大波に揺れる駆逐船のように身も気持ちも悪酔いし、何とかエンドロールに辿り着いた時、しかし全くオリジナルを越える超傑作だ!と感じたこの思いは、一体何処へ訴えドコヘ納めればいいのだろうかと絶望した。



「窓からローマが見える」

画家である池田満寿夫の監督作品だが再見したわけではなく久々サウンドトラックを聴いたという話。音楽はポール・モーリアで、あの独特なイージーリスニング・アレンジによる様々なトラックを聴いていると、当時フジテレビ土曜21時のゴールデン洋画劇場でオンエアされた時の衝撃が蘇る。はっきり言って18禁レベル(←丸刈り中学生にとって)。よくこんな露出度満載の映画を週末のGP帯で放送していたものだと今思えば驚愕に値する。自分はこっそりビデオに録って後になって密かに観たのだが、モーリアの美しい音楽、とりわけテーマメロディーにもかなりのインパクトがあったのを覚えているのだ。だから近々編成しようとしている「ある特集」に本作のサウンドトラックを起用しようと考えたのだ。人気作品だからリマスタリングCDぐらい出ているだろうと思いきやその存在は皆無。唯一数曲がコンパイルされたモーリアのベスト盤があったので、高額だったが入手した。しかしそれだけの価値はあるサウンドトラックで、冬の夜長に切なく染み入るメロディーをじっくり聴いている今日この頃。そういえばアナログ盤はLPもシングルも持っていたなと気づいたので、今度リマスタリングCDの音と聴き比べてみようと思った。



★アナログに手を伸ばせ!

リスナーの方からご希望曲をいただいたのだがCD化されていないサウンドトラックでありました。しかも日本独自盤なので、ある意味劇場公開時のみ使用の、一過性楽曲というものだから今後も銀盤化は期待出来ないでしょう。こういう楽曲こそオンエアしがいがあるというものです。これまで手を出してこなかった、アナログレコードの音源をデジタル変換して放送に乗っける機会が、当番組にも遂にやってきたというわけです。運良くそのご希望曲のシングル盤は持っていたので、機材を駆使して変換作業をしてみたところ、あまり針を落としていないレコードだったので思いの他音質もイイ感じで変換遂行。ついでに他にもCD化されていないレコードはなかったか物色してみると、自分が知る限りではありますが、これはCDなんて見たことないぞ、と思えるレコードが続々出てきました。これは一つ企画になるかもしれないと思いましたね。「アナログレコードで聴く夜」とか、「アナログレコードでしか聴けない2,3のサントラ」とか(ついタイトルパロディで企画名を考えてしまうのです)。要は、もうCDでも配信でも聴けない音源の特集ですね。いや結構あります、そんなサントラたちが。ちょっとB級というか、そんな映画ありましたね!と思わせるようなのが多いんですが、自分がレコードでも持っているという事はそこそこ楽曲も良いものだと自負しておりますので、いつかタイミングを見てセッティングしてみたいと思っています。そもそも昔はこのレコードをラジオでもかけてオンエアしていたんですもんね。今となっては珍しくても、あの頃はそれが普通。それもまた面白いですよね。



★聴きたいサウンドトラックのご希望にも出来るだけ対応してまいります。
Twitter @SeasideTheatre のメッセージへお送りくださいませ。

Litsen Here
★湘南ビーチFM 公式ホームページから。
★インターネットjpradio.jpやスマホアプリTune In Radioにて湘南ビーチFMを選択
★湘南逗子界隈のリスナーの方々は78.9MHzラジオにてお聴きいただけます。
是非、環境にあったかたちで番組にアクセスしてください。

特集「デヴィッド・ボウイ~サウンドトラックの星屑たち」

01 ラビリンス 魔王の迷宮 Labirinth~Underground
02 戦場のメリークリスマス Ride,Ride,Ride~Seed  坂本龍一
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03 ライフ・アクアティック Starman Seu Jorge
04 ビギナーズ Absolute Biginners  David Bowie
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05 地球に落ちてきた男 The Man Who Fell To Earth  JazzⅡ  John Phillips
06 キャット・ピープル Cat People(Putting Out Fire) David Bowie
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07 風が吹くとき When The Wind Blows(instrumental)  David Bowie
08 コードネームはファルコン This Is Not America  David Bowie & Pat Metheny Group
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09 ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間 Twin Peaks Fire Walk With Me
  (The Pink Room)  Angelo Badajamenti
10 ハンガー The Hunger  Lakume: Flower Duet  歌劇「ラクメ」より、花の二重奏
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11 郊外のブッダ The Buddha Of Suburbia  David Bowie
12 バスキア Basquiat  Hallelujah  John Cale
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after report by johnny SHIDA
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デヴィッド・ボウイのファンになったのは音楽に傾倒したのは後々の事で、やはりリアルタイムに観た「戦場のメリー・クリスマス」でした。日頃から性格の激しい姿がメディアにて紹介されまくっていた大島渚が監督で、そこに坂本龍一とビートたけしがキャスティングされ、80年代レッツ・ダンス・ムーヴメント真っ只中のデヴィッド・ボウイも共演すると聞き、物凄い映画が現れたものだな…と衝撃を受けたのです。それを鑑賞した時、一番驚いたのはボウイの俳優としての姿とその演技だったんですね。坂本龍一の演技はプロではない故の独特さ全開だし、たけしはいつものように泉谷しげるばりの天然オラオラ演技ですから、もうそれらはそれだけで異質的異次元的カルト的に完全成立しているわけです(讃えています)。その中でボウイの演技は英国ジェントリーな佇まいと研ぎ澄まされたパフォーマンスで、なんというか、美しかったのですね。捕虜になっての表情と、幼少時の回想シーンでの表情の作り方、その微々たる違いを表現している演技力。あえて言えば演劇的な動きではあると感じるも、それらはジャック・セリアズという上流階級育ちというキャラクターの静謐さ、その作りこみである事が、有名な坂本との抱擁シーンや、花一凛を捧げるシーンなどの鬼気迫るアクトで、強烈な使い分けによる役作りであると思い知らされるわけです。まさにこの人は天才的俳優であり、また人気ロッカーでもあるのだなと、その二面性に大いに興味を抱いてしまったのが最初だったのです。

さらに注視したのは、この「戦場のメリー・クリスマス」は音楽がボウイではなく坂本であったこと。単純なのですが、人気ミュージシャンが主演ともなれば音楽も兼任するだろうというイメージがあったため、ボウイは俳優に徹するのかと。それがなんとなく珍しく感じたのですね。坂本は言うに及ばずYMOのテクノ・アーティストとして知られていた方ですから、このような作品にマッチするのかな?という疑問もありました(実際はテクノに限らずな方という事はこの時点ではインプットされておらずで)。それはともかく、とにもかくにも「俳優に徹するボウイ」というスタンスが何だかカッコいいな、ロックだな!と思ったのです。それは後々リバイバル・リリースの仕事に自身も携わる事になる「地球に落ちてきた男」もそうでした。本来であれば主演/音楽というクレジットがベスト・マッチするような作品であるにも関わらず、ここでもボウイは俳優オンリーで対応し、音楽はジョン・フィリップスとツトム・ヤマシタが担っています。「地球に落ちてきた男」の頃、ボウイはアルバム「ステイション・トゥ・ステイション」をリリースしようとしており、収録曲を聴くと確実に劇伴を担当出来るほどの感性が光っていると感じたものですが、彼はあえてそこには手を出さなかったのですね。それほど映画に主演するという大役と、自身が映像に対して強烈な興味と憧れを抱いていたことが伝わってくるのです。

ここで一つご紹介したいのが80年代初期にビデオにてリリースされた「デヴィッド・ボウイ/イメージ」という作品です。この20分弱の実験映像は、1969年の「スペース・オディティ」ブレイク時期と前後して、ボウイが当時の仲間たち(アートパフォーマンス集団たち)と文字通りイメージ映像としてフィルム撮影を行い、その断片的なシークエンスを再編集、別途音楽を付けてビデオリリースされた珍しい作品です。この時のボウイの俳優に対する思いは、自身が身に着けていたパフォーマンス力はロック・コンサート上のみならず、このような映像世界にもトライアル出来るものなのだと確信して取り組んでいるようにもうかがえるのです。その為には自らをビジュアル化させ、映像領域でもインパクトを与えねばと考えたのか、アーティスト、デヴィッド・ボウイとしてのメイクアップや衣装は次第にアート性が増し、その頂点が「ジギー・スターダスト/ザ・モーション・ピクチャー」というロック映画として結実し、フィルムに刻む事に成功したのではと推測します。

その後ボウイの音楽は少しずつ凍てついた欧州の風景と同化していき、ベルリン三部作の誕生となるわけですが、その心象とシンクロするかのように、前哨戦的に公開されたのが「地球に落ちてきた男」なわけで、ボウイによる映像と音楽の関係性がいよいよ速度を増してコントロールされ、本来彼が表現上のコンセプトとして抱き続けてきた ”サウンド+ビジョン” という芸術概念が遂に本格的に動き始めていくわけです。ベルリンという街との親和性を演出するかのように出演と楽曲提供を担当した「クリスチーネF」。次世代サントラキングと称されるジョルジオ・モロダーとコンタクトを取り劇伴と主題歌にていち早くコラボを仕掛けた「キャット・ピープル」。あくまでも狂言回し的サポート出演にも関わらず、強烈な印象を与えながら主題歌と挿入歌にて魅せつけた「ラビリンス 魔王の迷宮」。「スノーマン」「風が吹くとき」のジミーTムラカミという日系監督とのジョイントもボウイにとってはとても重要なセッションであったと感じますし、80年代はとにかくそれら “サウンド+ビジョン” の極致であり、その動力は80sエンタメ・マーケットにまで増殖。これら多くの実績を観れば、ボウイにとって「映画」は「ロック」と同等のステージであり、価値あるフィールドである事が理解出来たのですね。

それらの喧騒が終わった90年代はじめ。東京ドームにて来日公演が実現した、その名も “サウンド+ビジョン・ツアー” を目の当たりにした時、ボウイがある一時代を総括し、また新たな映像と音の次元へと旅立って行くのだなと感じざるを得ませんでした。それぐらいこのツアー・ステージはボウイのこれまでのコンセプトを見事に集約、着地させていたからです。シンプルなステージングすべてを覆う透明スクリーンが様々なタイミングにてスクロールし、そこにはボウイ自身が演じるロッカー・ボウイの姿によってクオリティーの高いイメージ映像が流れ、それらすべてが演奏と共にシンクロしていくのです。それはまるで「デヴィッド・ボウイ」というタイトルの一本の「映画」を観ているような感覚でしたし、ここまで映像と音楽がシンクロするロック・ライブがかつてあっただろうかと衝撃を受けました。これは間違いなく新しい時代への入り口のような表現であり、事実このビジュアルを駆使したステージが踏襲、アレンジされ、次々に同様のライブステージが登場してきました。U2の “Zoo TV Tour” 、ストーンズの“ヴードゥー・ラウンジTour” などがそれで、そのコンサートステージの巨大進化っぷりを果たした90年代は、まさにハイテクノロジーとの共存の時代になっていった印象があります。

このようにあらゆるメディアや媒体を通して自身の表現領域を広げていったボウイですが、映像のアプローチは後年になるとやっぱり自由に表現が出来る自らの楽曲のミュージック・クリップに没頭していたようで、映画への接近と傾倒はもはや少なかったようです。そしてそのままボウイは、短すぎる人生をフェードアウトしていってしまいました。しかし不思議とその事実をいまだにエンドロールと感じる事が出来ないのは、時代がボウイの残してきた多くのコンテンツのテーマ性やメッセージに追いつき、まだまだ表現領域に影響を与え続けているからだと思います。そして特筆すべきは、それらは音楽界のみならず映像界、ライブ・コンサート界隈といった、多岐にわたるフィールドにて派生、継承されているからだと、強く感じています。

いつかボウイの半生を描いた本格的な伝記映画も製作されるのだろうなとも思いますが、そういった客観的に彩られた自分の姿こそ、ボウイは観てみたかったのではないでしょうか。


次回は特集「ブロードウェイ・メロディーを聴きながら」をお送りいたします。
映画のみならず、ミュージカルからの音源も紹介してまいります。
お楽しみに。

デヴィッド・ボウイ、5年目という節目の命日に
「seaside theatre」が贈る総力特集、
「デヴィッド・ボウイ~サウンドトラックの星屑たち」
ボウイによる音楽と映画の関係性をサウンドトラックで紹介していきます。
予定しているサウンドトラックは下記作品群です。

地球に落ちてきた男
戦場のメリークリスマス
キャット・ピープル
ハンガー
ビギナーズ
ラビリンス 魔王の迷宮
風が吹くとき
コードネームはファルコン
ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間
郊外のブッダ
バスキア
ライフ・アクアティック
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是非、日曜の夜は湘南ビーチFMの “seaside theatre / 海辺の映画館” へご来館ください。
OA後には放送された楽曲の全リストをサントラのジャケットと共に掲載。
当館コンシェルジュ、ジョニー志田によるアフターリポートもアップいたします。
お楽しみに。


されど、映画じゃないか(今週の雑文)



★(今週は)こんな映画を観た。


「男はつらいよ 寅次郎物語」

今週のBS 4K寅さん。マドンナは秋吉久美子だが、出番も絡みもあまり重要ではない。それにも増して、前作あたりからどんどん完成度が高くなっているのは、多分に満男の思春期到来と共に寅次郎の叔父貴っぷり、男っぷり、そして本来の渡世人っぷりにも磨きがかかり、それがストーリーの奥深さとして昇華されているからか。和歌山、京都、伊勢志摩というロードムービー構成も見応えあって良かった。寅さんにはやはり旅路の珍道中がよく似合う。第39作目。最終レグである40作台への前哨戦。「寅と満男篇」という、新たなテーマへの試作とも言えなくもない作品。


★ニーノ・ロータ後追記

先週はフェリーニ作品のニーノ・ロータ楽曲を集中砲火いたしました。アフター・リポートにはフェリーニ考しか記さなかったので、こちらで後追記を。正直、さすがにフェリーニ映画オンリーのサウンドトラックですとかなり似た作風の曲が続いて若干辛いかなと最初は思っていたんです。しかし並べてみると当然ですが個々の味わいは異なり、構成一つでストーリー的流れが組み立てられるなと。デカダンスで白日夢に響く様なメロディーに対し、一転してサーカス小屋のコミカルなビートが乱打される独特な楽曲たち。これらが相互に現れると自然と緩急が付いて、躁鬱を極致的に表現したような構成がひたすら繰り返していきます。祭り、そして祭りのあと、再び祭り、そしてまた祭りのあと。このリフレインが人生をカーニバルと称するフェリーニのサウンドイメージ、すなわちニーノ・ロータによる見事な音像の具体なのだと思いました。

古くはチャップリン作品の「ティティーナ」や、フチークによる「剣闘士の入場」など、いわゆるサーカスの定番サウンドという曲がありますが、ロータはそれらのフレーバーをうまく振り掛けながら、時にゴージャスに、時にセンチメンタルにアレンジを施して、フェリーニの持つ大胆不敵な映像の数々を引き立てています。甘さを出すなら塩をまぶせ、ではないですが、サーカスというある意味個性の強いエンタメに対して、哀愁を感じさせるメロディーや刹那さを突くアレンジで、道化師たちのバックボーンをうっすらと考えさせたり、富裕層の乱痴気騒ぎに時折り喝を入れてくれる、そういった音の演出が、ロータの楽曲感性には溢れているのだと理解しました。本場、イタリアやローマの街中にていつか聴いてみたいサウンドですね。ルーツを感じながら聴きたい音楽というものは、永遠に受け継がれていく音楽だと思います。



★聴きたいサウンドトラックのご希望にも出来るだけ対応してまいります。
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★湘南ビーチFM 公式ホームページから。
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★湘南逗子界隈のリスナーの方々は78.9MHzラジオにてお聴きいただけます。
是非、環境にあったかたちで番組にアクセスしてください。

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prologue soundtrack
01 レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
  Leningrad Cowboys Go America / Mambo From Sakkijarvi   Leningrad Cowboys 
02 トータル・バラライカ・ショー
  Total Balalaika Show / Gimme All Your Lovin'
  Leningrad Cowboys & The Alexandrov Red Army Ensamble
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特集 人生は祭り、フェリーニとニーノ・ロータと共に
03 8 1/2 Nino Rota
04 甘い生活 La Dolce Vita Nino Rota
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05 カビリアの夜 The Nights Of Cabiria Nino Rota
06 フェリーニの道化師 The Crowns Nino Rota
07 フェリーニのアマルコルド Amarcord Nino Rota
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08 フェリーニのローマ Roma Nino Rota
09 オーケストラ・リハーサル Orchestral Reharsal Nino Rota
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10 道 La Strada covered by JAZZ PARADISE music by Nino Rota
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from japanese ost 
11 翔べイカロスの翼 道化師のソネット(instrumental)
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epilogue soundtrack
12 グレーテスト・ショーマン
  This Is Me(Instrumental) The Greatest Showman Ensemble
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after report by johnny SHIDA
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フェリーニの作品も齢を重ねれば重ねるほど深く心に影響を受けます。そういう作品、結構ありまして、特に最近そう感じるのはやはり加齢のせいでもあり、何か自分の持つ潜在的思想も適度にイッちゃってしまったからかなとも思っています。適度にイッちゃう、とは簡単に言えば "まぁそうだよな、別にいいけど" みたいな感じでして。要は難解なアプローチに対して、より寛容になったと言うか、わかるわかる、わからないけどわかるよわかる、といった感じですね。わかりにくいですが、そういう事です。

16, 7歳ぐらいの時に「8 1/2」を観たのですが、当然あの夢か現実かの区別も難しい心象映像表現にはついていけないわけです。自分なりの解釈でも「これはこうでこういうことだ」と着地出来れば良いのですが全く無理でして。そうなるといろいろな文献や映画評を探しては、作品が理解出来ない自らを責め込むかのように調べる訳です。そうしたものを拝読し、なるほどそういう事かと納得したり、やっぱりわからないので、さらに調べないとずっとわからないままだと思ったり。あるいは自分の考えと同じ論評に出会った場合はかなり安堵させられたりと、とにかく難解な作品に対しては何とかして理解したい、理解してやると躍起になってました。ゴダール、タルコフスキー、テオ、寺山。諸氏らの作品群もまた然りでしたね。

しかしフェリーニに関しては絵画的な楽しみ方、演出の大胆さでも感銘を受ける場合もあり、それはヴェルナー・ヘルツォークの一連の作品を観た時にややデジャブがあったような、よくこんな映像表現を考え、また現場で具現化させるなと思ったりもしてました。誤魔化しの効かない、リアルポジションでしかない映像演出ですから、そこで描かれるものはなかなか力づくで迫力があったりします。グイドがハイウェイの車という車の渋滞上に浮遊するシーンがそれであり、ローマ市街をバイク集団が滑走しまくるシーンがそれであり、道化師たちや上流階級者たちが延々とクレイジーに騒ぎ続けるシークエンスがそれなのだと。まさにそんなパワフルな映像表現こそが「映画そのものの醍醐味」なので、それだけで作品を肯定してしまう感はありました。対CG論とかではなく、純粋な映画文法論として、です。ただやはり、理解不能には変わりないので、解析目的で二度見する機会は無いまま今に至る、という事ではあります。

説明が脱線していきましたが、今現在は難解な作品に出会っても無理して理解しようと思わず、わからないけど、そういうアプローチで観せるわけか、その気持ちはわかったよ、と思うようになったのですね。映画が千差万別なのは当たり前なのだ、という単純な概念でもありません。映画監督の個性は何一つ同等ではない、と考えるようになったのでしょうか。それとも自分自身が映画の沼にどっぷり浸かりすぎて、まぁいろいろあるよいろいろね、そんなこたどうでもイイじゃないか、と植木等的に映画脳が達観してしまったのか。あるいは「人生は祭り、その通りだ。」と今回のように理解へと到達する事も多くなったという事もそもそもありますし。だいたい自分はいわゆるそういった理解不能映画が苦手なわけでは別にないんですね。いわゆるアート映画と称される作品は寧ろ大好物なので、故に理解したい、同一線上にいたい、と青春時代は強く思っていたのだなと、今は回顧出来る齢になった、というわけです。

次回は特集「デヴィッド・ボウイ~サウンドトラックの星屑たち」をお送りいたします。
お楽しみに。

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